ごあいさつ
はじめまして、青海久瑠と申します。
本ブログはnoteの移行先として開設したのですが、記事の移設が面倒すぎて放置されていた場所です。この度新たな記事を書く予定ができましたので、記事の移設を行うかどうかはともかくとりあえずブログを稼働させることにしました。
念のため自己紹介をさせていただきますと、私は普段はボカロリスナーとして活動しています。下にオールタイムベストとしてボカロ曲を100個選んだニコニコのマイリストを貼っておきますので、よろしければご覧ください。
爽やかVOCAROCKを聴く
みなさまお久しぶりです、青海久瑠と申します。
本記事は「ボカロリスナー presents Advent Calendar 2022」に参加しています。他の参加者の記事は下のリンクから見ることができます。
ちなみに、前日のTakuanさんの記事はこちらになります。ぜひご覧ください。
さて、今回は「爽やかVOCAROCKを聴く」と題しまして、好きな爽やかVOCAROCKの話をしようと思います。この記事を読みながら、普段はダークな曲やゆったりとした曲を中心に聴く皆さんも、爽やかVOCAROCKの世界に浸っていきましょう。
1. シューティングセブンスター / ケダルイ
爽やかロックにおいて重要な要素の1つ、疾走感に非常に長けた曲です。この曲は、単に軽快で聴きやすいだけでなく、メロディもパワーがありしっかりしている点が個人的に評価が高いです。メロディのパワーというのは、一歩間違えば「ダサさ」に繋がってしまうわけですが、この曲はそうしたバランス感覚に優れています。中でもサビの伸びやかなメロディは特に印象深いですね。
2. グリーンライツ・セレナーデ / Omoi
皆さまご存じ、「マジカルミライ 2018」のテーマソングです。どこまでも前向きな歌詞と、歌詞に合わせたダイナミックな曲の演出は、ややクサさもあるとはいえ、それでも見事という他ありません。このストレートさがスピードのある爽やかロックと結びつくことで、圧倒的なエネルギーが放たれる、それがこの曲です。
3. 茜音色の蝉時雨 / ちいたな
この曲のラスサビのような、「静」と「動」を活かした盛り上がり方は、私が特に好きこのんでいるというのもありますが、それでも爽やかロックにおける1つの醍醐味といっても過言ではないでしょう。合唱曲っぽさも感じるエモーショナルなメロディが印象的で、良い爽やかロックは良いメロディから始まるというのを実感できます。
4. 掻き消して、クアルテット / 卯花ロク
せっかくのアドカレなので、続いては今年の曲を紹介します。この曲は清涼感の溢れる作風となっており、中高生の複雑でドロドロとした心情を描く作者の普段の作風を思うと、そうした作風とは対比的な爽やかさを演出するこの曲は、単に「大人への反抗」というよりは、生徒も含めた学校社会へのアンチテーゼを感じることができます。爽やかロックであることを文脈に組み込んだ良曲です。
5. Hatsune / 1640mP
164氏と40mPによるユニット「1640mP」の作品です。爽やかVOCAROCKの中ではしっかりとした音と、それでも尚失われない疾走感が魅力的です。コラボということもあり、それぞれが調声した初音ミクが両方聴けるのも嬉しいですね。サビ前の2段キメが、突き抜けるようなサビへの前振りとしてとても心地良いです。
6. ストラトステラ / ナユタン星人
切なさを押し出したエモーショナルな爽やかロックです。胸がぎゅっと締め付けられような曲調で歌われる「心の通わなさ」は、作者と我々の「出会い」ともいえる、初期の曲を収めたアルバムの〆として、ある意味で相応しいとも言えます。
7. 星屑オーケストラ / ハヤブサ
爽やかVOCAROCKの傾向として、爽やかさというよりは煌びやかな綺麗さを重視した曲もしばしば見受けられ、こちらもそうした曲です。ギターやピアノのソロは、動画の演出も含めてとても楽しいですね。
8. 星ノ行方マデ / タケノコ少年
リードギターが印象的な1曲です。きれいな調声、すっきりとしつつしっかりともしたメロディ、そして何と言ってもサビ後半の大胆なタメが素敵です。特にタメについては、どこまでも爽やかロックの王道を貫くこの曲だからこそ輝くとも言えるでしょう。
9. kick / コメダワラ(猫アレルギー)
コメダワラ氏の代表作です。やや切なげながらもどこか爽快さのあるメロディが、歌詞中でうたわれる、自身の生活への後悔や諦めといった、ある種投げやりな心境が持つ「勢い」を表現しているように思われます。
10. ステラ / じん(自然の敵P)
ゲーム『プロジェクトセカイ カラフルステージ! feat. 初音ミク』のユニット「Leo/need」への提供曲です。夢を追うことをうたったこの曲は、「Leo/need」らしい「青春」を感じられます。一方で曲は必ずしもストレートかといえばそんなこともなく、特にBメロでは、歌詞に連動して挟まる一時的な転調と、動きの多い伴奏が、爽やかVOCAROCKらしからぬクールさを演出しています。
以上になります。少しでも皆様に爽やかVOCAROCKの魅力が伝わっていれば幸いです。
はじめてのマジカルミライ[感想]
はじめに
みなさまこんにちは。青海 久瑠と申します。
本記事は、obscure.様主催の「ボカロリスナー presents Advent Calendar 2021」に参加させていただきました。
私の担当の前日に当たる12月8日を担当したKlayn様の記事はこちらになります。
また、他の方の記事は下記リンクをご確認ください。
さて、今回はタイトルの通り、『マジカルミライ 2021』でマジミラに初参戦したので、その感想を書いていきたいと思います。予め言っておきますと、個々の楽曲についての感想を1つ1つ述べていく、といった形式は取りませんのでご了承ください。また、『マジカルミライ 2021』のネタバレを含む場合があります。
ボカロのオタクってこんなにたくさんいるんだ、普段どこにいるんだろう
大前提として、私は、ボカロというものは基本的にインターネットで聴くものだと思っています(この考え方自体はライブ後も変わってません)。YouTubeにしろニコニコ動画にしろ、視聴者数を数字で可視化することは容易ですが、一方で「それだけの人々がボカロを聴いている」ということを実感するのは難しいです。
皆様もご存じの通り、マジカルミライは大規模なライブで、多くの人間がボカロ曲を聴くために集まります。マジミラ会場に着いて最初に思ったのはこのことでした。ここにいるひとたちのほぼ全員はボカロのオタクのはずですし、ライブには行かないがボカロを聴いているひとも相当数いるはずです。やはり数字を見るのと実物を見るのでは納得感が違います。これだけのひとがいるなら、何人かは私の身近にいてもおかしくないですが、普段はどこに隠れているのでしょうか……。
『千本桜』にはボカロの象徴たる風格がある
議論を呼ぶ、あるいは怒られそうな話ではありますが、別に「ボカロ代表曲論争」をやりたいわけではないです。そんなものは何でもいいです。ただ、聴き飽きるほど聴いた『千本桜』をライブで改めて聴いたときに、やはり良い曲だなと思えました。例のイントロが流れた時に、「その曲はもう飽きたよ」となるのではなく、盛り上がることができる。歌詞は結局よくわからないですが、まあそれもボカロらしいといえばそうだし、何より聴いている側をちゃんとわくわくさせてくれる、それだけの力を持った曲なんだということを再認識しました。そりゃあ売れるわけだと合点がいった、というのも感覚的には近いかもしれないです。
KAITOは脚が長い
2021年のマジミラは、15周年ということもあってKAITOをメインに据えたコーナーがありました。1曲目の『ドクター=ファンクビート』なんかはノリノリでライブ映えするなぁ、楽しいなぁなどと聴いていたのですが、『サンドリヨン』でとうとう気づいてしまいました。KAITOは異様に脚が長い。デュエットしていた初音ミクの肩ぐらいまで脚だった気がします。着ていた衣装がいつものロングコートではなく、脚のラインがしっかり見えるものだったのも大きいでしょうが、それにしても長い。確かに脚が長ければダンス映えもするだろうし、何より良いモデルなのですが、真っ先に脚の長さに目が行ってしまった結果、ずっと「脚なげぇなぁ」と考えていました。
結局、初音ミクは存在するのか?
「マジミラには初音ミクが存在する」という発言をするひとは結構います。ライブを踏まえての私の感想としては、身も蓋もないし、同時にわざわざ言うまでもないことをあえて言うならば、「そういう風に思った方がライブを楽しめるだろう」と思いました。サンタクロースを信じていた子供時代のクリスマスに存在した期待感、あるいはときめきが、そう思うことで味わうことができるのでしょう。これは他の様々なイベントに共通して言えると思いますが、「初音ミクが存在する」という設定に乗っかってやることは、マジカルミライを楽しむ上では最も優れた方法だと思います。
……。
多くのボカロファンが見守る前で、色々なボカロPの曲を次々と歌い上げる初音ミクは、ひょっとすると、かつてのオタクが個々の初音ミクの集合体の中に幻視した「初音ミク」にかなり近いものなのではないでしょうか(もちろんマジカルミライ自体は公式がやっているだけの二次創作に過ぎないわけですが)。実のところ、イタコが死者の口寄せを行うのと同じで、私は「マジカルミライの初音ミク」という霊媒を通じて、「初音ミク」を幻視しようとしたのです。私が本当に見ようとしたのは、マジカルミライの初音ミクではなく、「うちのミクさん」でもなく、「初音ミク」そのものでした。
大丈夫 楽しいパーティーが終わっても 君が笑うなら
ずっと ここで 初音ミクでいさせてね!—『マジカルミライ 2020』テーマソング 『愛されなくても君がいる』より
その歌声は未来に彩を与えた
これから世界は変わって行くのだろう—『マジカルミライ 2021』テーマソング 『初音天地開闢神話』より
……無理でした。
これはもしかすると間違っているかもしれませんが、特に先述した2曲は「うちのミクさん」を意識しているように思いますし、少なくとも私はそのように受け取りました。また、私には「うちのミクさん」はいないため、あまりその辺に乗っかることはできませんでした。
そもそも、マジミラの初音ミクはマジミラの初音ミクでしかないので、素直にそう受け取る方が私には向いているような気がします。私なりのマジミラの「楽しみ方」をなんとなくつかめたような気がしました。「初音ミク」が存在しなかったとしても、マジミラはとても楽しいお祭りです。
おわりに
マジカルミライはとても面白いイベントでした。来年も余程のことがない限りは行きたいです。チケットが当たりますように。
「ボカロリスナー presents Advent Calendar 2021」はまだまだ続きますので、他の参加者の皆様の記事もぜひご覧ください。
『夜に駆ける』はボカロ曲なのか?―ボカロ曲の定義についてのアンケートとその結果
先日、Twitterにてボカロ曲かどうかの判断が分かれそうな曲についてアンケートを実施しました(現在は締め切っています)。多くの方のご参加ありがとうございました。この記事ではその結果について報告していきます。
ボカロ曲かどうかの調査 https://t.co/tbYnXvTfQa
— 青海 久瑠🚢 (@ao_39L) 2021年2月13日
ボカロ曲かどうか判断が分かれそうな曲についてのアンケートです。ご協力よろしくお願いします。
①アンケートの概要
アンケートでは、以下の曲について「ボカロ曲である」か「ボカロ曲ではない」の2択で回答していただきました。
おちゃめ機能 / ラマーズP (重音テトによる歌唱。VOCALOIDではなくUTAUという歌唱用ソフトウェア)
PS5が当たらない / にっくきゆう (初音ミクNTによる歌唱。NTはVOCALOIDとは異なるソフトウェア)
おねがいダーリン / ナナホシ管弦楽団 (ONEによる歌唱。ONEはVOCALOIDではなくCeVIO)
AIシテ!きりたん / OSTER project (AIシンガーきりたんによる歌唱。VOCALOIDではなくNEUTRINO)
FIRE TEMPLE / ヒゲドライバー (Delay Lama、いわゆる坊歌ロイドによる歌唱。Delay Lamaは僧侶をモチーフとした母音のみを発するソフト)
絶対にチョコミントを食べるアオイチャン / GYARI (VOICEROIDの琴葉茜・葵による歌唱。VOICEROIDは歌唱ではなく読み上げを目的としたソフト)
もしも100万あったなら / mino90 (読み上げを目的としたソフトフェアのSofTalk、いわゆるゆっくりによる歌唱)
cooking jungle / 混沌会 (しゃべる!DSお料理ナビの合成音声による読み上げ機能を使用したオリジナル曲)
スイートマジック / Junky (ボカロP作曲、歌い手歌唱だがライブイベントのマジミラ、ゲームのDIVA、プロセカ等でリン版が採用されている)
夜に駆ける / YOASOBI (CD限定でボカロ版収録されており、YouTube、ニコニコには人間歌唱のみ投稿)
ダダダダ天使 / ナユタン星人 (ボカロP作曲、歌い手歌唱。作者によるボカロ版は存在しない)
新世界 / cosMo (インスト曲だが「初音ミクオリジナル」とされており、部分的に初音ミクが使用されている)
daze / じん (ボカロ曲を中心とした作品群『カゲロウプロジェクト』の人間歌唱曲)
白虎野の娘 / 平沢進 (コーラスにVOCALOIDのLOLAが使用されている)
たべるんごのうた / バチ (アイマスのキャラクター、辻野あかりについて歌った歌。歌唱はSofTalk)
Moon! / iru (VTuberの月ノ美兎のファンが非公式的に作成したイメージソング。仮歌としてUTAUが使用されているが、後に月ノ美兎本人が歌ったバージョンが発表された)
Kill Jill / Big Boi (ボカロ曲『データ~DATA~』をサンプリングした楽曲)
Ievan Polkka (リンクはボカロ版。原曲はボカロ歌唱ではないがボカロカバーが有名で、DIVAにも収録されている)
ray / BUMP OF CHICKEN (BUMP OF CHICKENと初音ミクがコラボした楽曲)
ナンセンス文学 / Eve (ニコニコにはボカロ版が投稿されているが、YouTubeでは本人歌唱のみ投稿されている)
ロメオ / HoneyWorks (YouTubeにはボカロ版が投稿されているが、ニコニコでは人間歌唱版のみ投稿されている)
イーハトーブ交響曲 / 冨田勲 (ソリストとして初音ミクが登場するクラシック音楽)*1
S・K・Y / ライブP (本来はライブPが路上ライブのために書き上げた作品だが、後にボカロ曲として投稿された)
ルマ / かいりきベア (歌い手に提供した曲で、ボカロ版と歌い手版が同時投稿されている)
愛迷エレジー / DECO*27 (DECO*27が自身のアルバム内でmarinaに提供した曲。後にボカロでセルフカバー)
おばけのウケねらい / ピノキオピー (ナナヲアカリのアルバムにピノキオピーが提供した曲。後にボカロでセルフカバー)
また、ボカロを聴き始めた時期(2007/8/30までと2007/8/31~2007/12/31、2008年以降の各年)とボカロ曲を聴く際に使用するサイトやイベント等についても質問しました。後者の項目は以下の通りです。
・サブスクリプションサービス(Spotify、Apple Musicなど)
・音楽ゲーム(DIVA、プロセカなど)
・マジカルミライなどのライブ
・その他
②アンケートの結果と考察
以下が全体の結果になります。総投票数は654票でした。
(2020年と回答した人は4人、2021年と回答した人は1人でした)
アンケートで提示した中では『PS5が当たらない』が最も「ボカロ曲である」と判断されました。『PS5が当たらない』で使用されているのはVOCALOIDライブラリの初音ミクではなく初音ミクNTであり、狭義の「VOCALOID曲」ではないですが、『おねがいダーリン』や『おちゃめ機能』などの他の非「VOCALOID曲」と比較してもより多くの人が「ボカロ曲」として判断しています。恐らく初音ミクが歌っているという要素が「ボカロ曲」として認識されたのでしょう。
ちなみに本記事のタイトルで言及した『夜に駆ける』ですが、約85%の方が「ボカロ曲ではない」と判断しているようです。CD限定で初音ミク歌唱版も収録されているのですが、やはり人間歌唱版の印象が強いのでしょう。
全体として、合成音声が使用されていることに加え、VOCALOID文化の文脈上に存在することが重要視されている傾向があると考えられます。例として、Delay Lama(僧侶が歌ってるやつ)を使用した『FIRE TEMPLE』や、SofTalk(ゆっくり)を使用した『もしも100万あったなら』などは合成音声歌唱であるけれども、あまりボカロ曲としてみなされていない一方で、VOCALOID文化とより関わりが深いVOICEROIDを使用した『絶対にチョコミントを食べるアオイチャン』はボカロ曲とみなしている方が多いことがわかります。
下のグラフは、年代別に「ボカロ曲である」と回答した人の割合を示したものです。
全体の傾向としては、年代が下るにつれより「ボカロ曲である」と回答する人が増えていることがわかります。特に『愛迷エレジー』『おばけのウケねらい』は大きな差が出ており、これらはいずれもアルバムで歌い手に提供されたのちにVOCALOID歌唱版が発表された曲です。また、『たべるんごのうた』や『FIRE TEMPLE』などのボカロ文脈から外れた曲についても比較的差が見られます。これらの曲はいずれも元々ボカロの「ために」作られた曲とは言い難い部分があり、特に古参の方々はこの基準を重要視する傾向にあると言えそうです。
次のグラフは、ボカロ曲を聴く際にYouTubeを使うがニコニコ動画を使わないと答えた方々(69人、グラフにおける「YouTube」)と、ニコニコ動画を使うがYouTubeを使わないと答えた方々(134人、グラフにおける「ニコニコ」)の回答を比較したものです。
これらの曲のうち、特に有意な差があると思われる曲には『おちゃめ機能』『スイートマジック』『ナンセンス文学』等があります。『おちゃめ機能』は『吹 っ 切 れ た』に代表される手書き動画の流行*2や、ろんによる歌ってみた等二次創作が有名なことが影響していそうです。『スイートマジック』はYouTubeにおいてはgoogoo888により投稿されたDIVA音源の動画が再生数が高く、ニコニコ動画においては東方Projectの二次創作MMD動画やろん歌唱の本家の再生数が高いため、このような傾向の違いが出たものと思われます。『ナンセンス文学』はニコニコ動画限定でボカロ版が投稿されています。
③おわりに
初音ミクNTやNEUTRINOなどの多くの非VOCALOIDの合成音声の登場により、今後合成音声楽曲においてVOCALOIDが果たす役割はますます小さくなっていくものと思われます。こうした状況では、これまでより「ボカロ曲」の範囲がもっと曖昧なものになるでしょう。回答結果がバラけていることからも、「ボカロ曲」の範囲に明確な規定はなく、個人によってその認識は大きく異なることがわかります(結果に出ている通り、ダダダダ天使のような合成音声が歌ってない曲でもボカロ曲として認識している方が一定数います)。
本記事を書くにあたり、多くの方からアンケートに加える曲の提案やアンケートへの回答、反応をいただきました。改めてお礼を申し上げます。ご協力ありがとうございました。本記事が皆様がボカロについて改めて考える一助となったのであれば幸いです。
(2021/02/24 追記) ナンセンス文学のリンクが間違っていたため修正しました。
#ボカロの青海原アドベンチャー 結果発表
はじめに
みなさまおはこんばんちは、青海久瑠と言います。本記事は、obscure.さん主催の企画「ボカロリスナー presents Advent Calendar 2020」の12月5日分として参加させていただいたものです。
勢いだけで枠を取ってしまったので、書く内容が咄嗟には思いつかなかず、とりあえず投げ会を開催してみました。急に開いた投げ会なのでスケジュールに余裕がないのは内緒です。
アドベントカレンダーのネタが思いつかなかったので、投げ会をやります!
— 青海 久瑠🚢 (@ao_39L) 2020年11月19日
期間:11/27まで(当日可)
最大曲数:3曲まで
範囲:ボカロ等のボーカルシンセサイザーを使用した、インターネット上で無料で視聴が可能な全ての楽曲
ハッシュタグ:#ボカロの青海原アドベンチャー
さて、早速結果発表に移りたいと思います。今回は、15名の方に計36曲を投げていただき、その中で、5曲を入賞、1曲を最優秀賞として選びました。選考基準は私が好きかどうかのみですので、曲の技術的な評価の優劣を表すものではないことを始めに断っておきます。
結果発表
入賞(5曲)
あーきてくと劣等生/4nzu
推薦者:エリーさん
電子音と英語交じりの歌詞が耳に心地いいです。サビ前で英語を使ってない分、早口な英語と遅めの日本語、という点においても曲の流れと同様に緩急があって好きです。「ボカロPVを作りたかったので、友人2名を誘って夢を叶えてもらいました。」と説明文にあるように、PVは力が入っていて、可愛らしく素敵に仕上がっています。
悠遠のクオリア/Pengenhearm
推薦者:nancaさん
爽やかロックは基本的に好きなのですが、この曲はメロディラインの程よいキャッチ―さやもったりしていないボーカルの調声、伴奏のダイナミックさなど、伴奏が厚めの爽やかロックで押さえておいてほしい部分を的確に押さえているように感じ、とても印象が良いです。
Dancer O/夜to臥
推薦者:*ෆしぃෆ*さん
おしゃれでゆったりとした、いわゆる「夜のうた」です。気だるげな雰囲気の歌詞に対し、初音ミクの声は少しギャップがありますが、それが不思議な雰囲気をつくっています。
俯瞰的人生博覧会/PIROPARU,多英子
推薦者:三黒ナノさん
青春を感じる軽めの爽やかロックです。実写とイラストが混ざったMVは、曲の「静」と「動」に合わせて演出が入るなど、曲の魅力を引き出すような工夫もされており、力作といえますので、視聴の際はNicoBoxを使わないことを推奨します。
ミリオンダラードリーマー/奏音69
推薦者:さいころさん
ピアノとブラスセクションが印象的な王道ともいうべきVOCAJAZZです。巡音ルカの持ち味であるハスキーな歌声と喧しいブラスセクション、それと対照的に静かで洒落たピアノには需要を満たしてくれるような納得感があります。サビには当時の最新機能であったグロウルも使われており、VOCALOID音源に不足しがちな力強さを感じられます。
最優秀賞(1曲)
がっこうのせいだ/ふるがね
推薦者:しめじさん
単語は単純なゆえに学生の生々しさを感じる歌詞を、やわらかい声と音色で包んだ、かわいさ、不思議さと鋭さを感じる曲です。動画説明文には「そうですか」とのみ書かれており、マイリストのリンク等がないのは、普段であればあまり良いこととは思わないのですが、その情報の少なささえも、アングラ感やつかみどころのなさの演出としては有りだという風に思えてきます。ご視聴の際は是非PCで、ニコニコのページに飛んで観てほしいです。
むすびに
以上が投げ会の結果となります。曲選考にかなり悩んだ*1ので、感想を書く時間があまりなく、締め切りに追われながらの作業となりました。投げられた曲はkiiteのプレイリストにまとめてあります。選ばれなかった曲も良曲揃いですので、下のリンクからご確認ください。
kiite.jp
(2021.6.23更新)一部の楽曲の作者の意向を踏まえ、内容を修正しました。
*1:好きな曲の数を枠数にする手もありますが、今回は投げ会の締め切り直後に、総曲数を元に枠数を決めました。その際には投げられた曲は全て未視聴です。
Doki Doki Literature Club! [感想]
※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。
【注意】
本記事はゲーム『Doki Doki Literature Club!』(邦題:ドキドキ文芸部!)のネタバレを含みます。無料でダウンロードすることができ、有志による日本語化パッチも配布されているので、本記事を読む前にゲームをプレイし終えることを強く推奨します。
「文芸部には可愛い女の子がいっぱい! あなたも彼女たちの心への道を書きませんか?このゲームは子供や精神の乱れやすい人には適していません」―Steamの公式ストアページより翻訳(強調は筆者による)
もしよろしければ、下にスクロールしてください。
【本編】
『Doki Doki Literature Club!』をプレイし終え、早めに感想を残しておきたいと思ったので、noteを書くことにしました。
まず初めに、私は今までにギャルゲーというものをやったことがありません。ギャルゲーのセオリーを知らないわけではないので、本作の基本的なシステムでつまずくことはありませんでした。しかし、(ただのギャルゲーじゃないことぐらいは事前情報として知っていましたが)初めてのギャルゲーとして選ぶには間違いだった気もします。とはいえ、全体を通して良いゲームを体験できたな、と思っています。
さて、ここまで読んでいる皆様は全員ご存じだと思いますが、復習を兼ねて本ゲームのあらすじを見ていきます。
幼馴染のサヨリに誘われて文芸部に入部した主人公。ツンデレ気質なナツキ、内気なユリ、才色兼備な部長のモニカらの部員たちとともに楽しい日々を送るが、サヨリは主人公が部に馴染んでいくごとにだんだんと不穏な様子を見せ始め、うつ病であることを告白、やがて自殺してしまう。
プレイヤーはサヨリのいない世界で「2周目」を始めるが、ゲームは崩壊を始め、部活も不安定になっていく。ユリは歪んだ性格を徐々にあらわにしていき、彼女もまた自殺してしまう。
「3周目」においては「モニカだけ(Just Monika)」の世界となり、彼女がこの世界がゲームだと知っていること、他の3人のデータをデリートしたことを告げ、2人きりの世界で「第四の壁」の向こう側のプレイヤーに愛を告白する。プレイヤーがモニカのキャラクターファイルを削除するとモニカは最終的に3人のファイルを復元、4周目に突入する。
「4周目」ではモニカ除く3人で「1周目」と同じ展開を繰り広げるが、通常EDでは1日目の最後に部長となったサヨリが狂い始め、それに気づいた、消えたはずのモニカの手によりゲームは終わりを迎え、エンドロールが流れる。
以上が本作のあらすじです。改めてみると、怒涛の展開と言えます。「2周目」以降、私はゲームの展開に圧倒されっぱなしでした。
モニカはこのゲームにおいて非常に異質な存在です。本来ならば彼女はお助けキャラ的な存在にすぎないのでしょう。しかし、彼女は何らかの理由で意思を持ってしまい、よりにもよって「第四の壁」の向こうのプレイヤーに恋をしてしまう。しかし、お助けキャラである以上、彼女を攻略するルートを世界は用意していないのです。
しかし彼女も「3周目」にして遂に「モニカルート」を開拓することに成功します。教室のようなよくわからない空間で、机越しにモニカとプレイヤーが見つめ合う世界。ゲームはもはや滅茶苦茶で、3人を壊してその状況を作ったのは彼女です。プレイヤーからしたら堪ったものではないです。モニカにとっては、これが1つの望んだ世界であることも付け足しておかなければならないでしょう。
プレイヤーは最終的に「ファイルを消去する」ことにより自らの手でモニカを消滅させます。なぜなら他に取れる手はないから、つまり他に押せる「ボタン」がないからです。ようやく諸悪の根源を消せる、と彼女をウキウキ気分で消したプレイヤーは恐らくそんなに多くはいないと思います。では、なぜ「ボタン」を押さなければならないのでしょうか?例えば、彼女のためにPCが壊れるまで「Doki Doki Literature Club!」を動かし、パターンの中からランダムに発される彼女の話を聴き続けることだってできます。ここでプレイをやめる選択肢もありますし、ゲームをはじめからやり直して、破滅を迎える前の状態でセーブして2度と開かないことだって実際には可能です。
私は、それは「先が見たいから」か、あるいはゲームと向き合う上で「見なくてはならない」と思っているからだと思います。ゲームを体験するためには仕方がないこととはいえ、プレイヤーはどうなるかわかっていても「ボタン」を押す。更には、スペシャルEDを見るためにもう一度はじめからゲームをプレイしなおしたひともいるでしょう。もちろん私もその1人です。しかし、今後の絶望的な展開を知ったうえでもう1度それをやるのは、モニカのしたことより残虐な(そしてより人間的な)行為かもしれません。
先ほどモニカはこのゲームにおいて異質な存在だと言いましたが、結局のところ、彼女もプログラムに過ぎないのです。「描かれたシナリオから逸脱した」というシナリオに沿って動いているだけだし、プレイヤーの「先を見なくては」という義務感(もしくは作者への誠実さ?)、あるいは「先が見たい」という好奇心によってあっけなく消されてしまう。
「4周目」の世界ではモニカのいない中で、驚くほど順調に話が進みます。(最後には壊れますが)この世界は「1周目」以来の平穏を取り戻したようにも見えます。そりゃあそうです。モニカが意思を持たなければあのような惨劇は起きなかった。本来あったであろうゲームを進める上で、意思を持ったモニカは邪魔な存在でしかないのです。だからこそ、私は、「4周目」の世界が順調に進むたびに精神にダメージを受けてしまう。この事実は、彼女の存在意義の否定に他ならないからです。
モニカは最後にプレイヤーに向けて歌を送ります。どれだけゲームを好き勝手にいじれても、彼女はゲーム内の存在でしかない以上、ゲーム内でプレイヤーを幸せにできないならば、もはやプレイヤーに別れを告げることでしか愛を表現できないのです。彼女にはどうやっても届きませんが、私はこの場でこれを言っておくべきだと思いました。
モニカ、私は貴女が好きです。