いただいたご意見への返信

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 「初音ミクの限界とv flowerの可能性」という記事に関しまして、いくつか意見をいただきました。ありがとうございます。この記事ではいただいた意見について返信します。また、以降同記事もしくはこの記事に関する意見をいただいた場合も、この記事で返答させていただきます。私はまだまだ相当未熟ですので、皆様から意見、反論、批判、アドバイス等をいただけると大変助かります。今後ともよろしくお願いします。

 曲調の統一感にキャラクターが出ているという点に関して、ご指摘いただいてはじめて気づきました。今後の参考にさせていただきたいと思います。また、GUMIやIAに関しましては、ボカロ曲においても、それ以外の場面においても、キャラクター性がそれなりに活かされていると判断したのですが、私の偏見が無視できないレベルで入っていたことは恐らく間違いないです。客観的な視点が著しく欠けていたと思います。申し訳ありませんでした。

 私に声質や技術の話がほとんどできないというのはご指摘の通りです。そういった視点に欠けているとそれだけ論理展開が説得力の足りないものになってしまいますし、現に声質や技術に詳しい方々が私の記事を見たら違和感を覚えるであろうことは私にもなんとか想像はつきます。しかし私には理解力が不足しているので、誠に不躾ながら、記事のどこに問題があるのか具体的にご教授いただけるとありがたいです。

 ご指摘の通り、ボカロライブラリのキャラクター性と楽器性は一概にどちらが強く、どちらが弱いと言いきれるものではありません。私は以前より、VOCALOIDというのは、キャラクター性、楽器性、それ以外の性質を引っ括めたものだという認識をしております。楽器性を活かしつつVOCALOIDをキャラクターとして扱っている例も存在しますし、そのことに関しては把握しております。私が件の記事を通して言いたかったのは、「善悪は置いておくとして、VOCALOIDがより広く使われるには、キャラクター性が邪魔になってしまっている」「キャラクター性の薄いv flowerならばVOCALOIDがより広く使われるのに役立つかもしれない」ということです。そのことを主張するために、安易に二項対立のような構造を取ってしまったことは、誤解を招く面もあり、軽率でした。申し訳ございません。

 様々な楽曲では使われない、という表現については、私の説明不足でした。ご指摘の通り、VOCALOIDニコニコ動画YouTubeなどの動画サイトを中心に、様々な曲調の楽曲で使われていますし、それは存じ上げております。ここで言うピアノやアコギと初音ミクとの使われ方の違いというのは、VOCALOID曲を聴く際、ほとんどの人、特にVOCALOIDに慣れ親しんでいない人たちはVOCALOIDが使われていることを意識する一方で、ピアノやアコギを使用した楽曲については必ずしもそうではないということです。VOCALOIDを使った楽曲はほとんど全て「VOCALOID曲」として分類されますが、ピアノやアコギを使った曲は、それ単体でもない限り「ピアノ曲」、「アコギ曲」と分類されません。例えば「ロック特集」と題される特集があったとして、その中にピアノやアコギが使われている曲が入っていてもそこまで不自然には思いませんが、VOCAROCKが混ざっていたら不自然に思うのではないでしょうか。ですからVOCALOIDはほとんどVOCALOID界隈の中でしか使われておらず、多様な楽曲で使われているとは言い難いのではないかと思います。

 ボカロPは初音ミクのキャラクター性を捨てるのを受け入れられない、という点に関しては、私のボカロの視聴傾向が少なからず影響していると思われます。あいまいみぃ様が実際にボカロPの方々との交流の中でそのように感じ取られているのであれば、その点についてはそちらの方がより実情をとらえているのだと思います。ですから、この点については訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。

 知識量不足は否めない点もあるので精進します。

 GUMI、IAに関しては前述の通りです。VY1、2は、ご指摘の通りあまりヒットしておらず、普及についての例示としては不適当だと思ったため言及していません。

 また、私は、無意識的に、日本国内でVOCALOIDを普及させるという観点で話を進めていましたので、海外でのVOCALOIDの使用例に関しては把握しておりませんでした。私の視野狭窄さが原因です。今後の参考とさせていただきます。

 「世間で広く使われること」を主眼に置くあまり、「世間からみたVOCALOID」というものにばかり囚われてしまっていました。同じVOCALOID界隈に所属する人間でも、周囲の環境や視聴傾向によって、VOCALOIDの見え方が変わってくるのは当然であり、それを一絡げにして論じるのはあまりにも手法として雑だったと思います。今後こういった文を書く際には参考とさせていただきます。