初音ミクの限界とv flowerの可能性

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 

 この記事はしらすさんの記事を元に書いてますので、先にそちらを読むといいと思います。

 しらすさんが上の記事で言及されていたように、「v flower」はボカロとしてはキャラクター性が薄いです。「v flower」のキャラクター性を利用した創作が無いとは言いませんが、キャラクターがあまり利用されていないというのが現状です。

 現在の「初音ミク」を筆頭としたVOCALOIDライブラリには、その名前にそのキャラクターが強く結び付けられる傾向があります。つまり、私たちは初音ミクのようなVOCALOIDを「楽器である以前にキャラクターであるもの」として扱っているのです。その証拠に、かなりの人が、Megpoidをソフトウェア名のまま呼ばず、そのパッケージに書かれたキャラクターの名前である「GUMI」と呼んでいます。

 VOCALOIDをパッケージのキャラクターとより強く結びつけるという扱い方は、初期のニコ動においてVOCALOIDというソフトウェアの知名度を上昇させる大きな要因とはなりましたが、それ以上の飛躍を望むには逆に足枷となっているという節があります。

 つまり、これがタイトルにある「初音ミク」が持つ「限界」です。初音ミクが楽器である以前ににキャラクターとしてみなされる以上は、ピアノやアコギといった楽器名や、ロックやジャズといったジャンル名ではなく、「米津玄師」や「嵐」といったアーティスト名と同列に並べられることが多くなるのです。

 ボカロ初心者のよくある勘違いとして、「初音ミク製作委員会」的な存在が初音ミクの曲を作っている、というものがあります。皆様も1度ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。こういった勘違いは、「初音ミク」が1人のアーティストで、それに曲を提供するひとたちがいる、という考えに基づくものでしょう。こういった勘違いをするひとたちは、「初音ミク」を1人のアーティスト、もしくはゆるキャラのような「公式」を中心に活動するキャラクターとして見ているのです。

 「初音ミク」が1人のアーティストとしてみられている以上、VOCALOIDというソフトウェアを、世間に1つの楽器としてみなしてもらうことは大変に困難です。どれだけ「初音ミク」が躍進しても、世間からすれば彼女は1人のアーティストでしかないのですから、ピアノやアコギのような様々な楽曲で使われる存在にはなり得ません。

 逆に言えば、初音ミクがピアノやアコギのように広く使われる存在になるには、そのキャラクター性を排除する必要があります。言うまでもないことですが、かなりのボカロファンやボカロPはそれを受け入れられないでしょう。彼ら/彼女らは楽器でありキャラクターである「初音ミク」が好きなのですから(私はそれは悪いことではないし、そもそも広く使われることだけが絶対的な価値観ではないと思いますが)。

 VOCALOIDライブラリが「初音ミク」をモデルに、そのキャラクター性を活かして発展しようとする限り、VOCALOIDが世間で広く使われることはほとんどありえません。「初音ミク」がVOCALOIDの象徴的存在として君臨し続けることは、VOCALOIDという技術の可能性をかえって狭くしているのです。そして、これは恐らくなのですが、VOCALOIDが本来あろうとした姿は、「初音ミク」のような形ではなく、楽器としてのそれなのではないでしょうか。

 そこでv flowerです。もちろん「v flower」をキャラクターとして好きなひとはそれなりの数います。ですが、前述の通り、多くのボカロPは「v flower」をキャラクターというよりは楽器として扱っています。だからこそ、v flowerならば「初音ミク」が超えられない限界を超え、VOCALOIDを、世間で広く扱われる存在に導くことができるのではないかと思うのです。

 それがあるべき姿だとは、私は言えません。むしろ、私は「初音ミク」にキャラクター性がなければ、好きになっていたかどうかすら怪しいです。私が言いたいのは、ただ、「初音ミク」という存在は、VOCALOID技術をこれからさらに普及、そして発展させるという観点から見たときに足枷となっていること、そして「v flower」は足枷になりにくいというだけのことです。ですから、「VOCALOIDという技術をもっと普及させたい!」という野心をお持ちのボカロPの方には、v flowerを購入することををおすすめします。