Doki Doki Literature Club! [感想]

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

【注意】

 本記事はゲーム『Doki Doki Literature Club!』(邦題:ドキドキ文芸部!)のネタバレを含みます。無料でダウンロードすることができ、有志による日本語化パッチも配布されているので、本記事を読む前にゲームをプレイし終えることを強く推奨します。

「文芸部には可愛い女の子がいっぱい! あなたも彼女たちの心への道を書きませんか?このゲームは子供や精神の乱れやすい人には適していません」―Steamの公式ストアページより翻訳(強調は筆者による)

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【本編】

 『Doki Doki Literature Club!』をプレイし終え、早めに感想を残しておきたいと思ったので、noteを書くことにしました。

 まず初めに、私は今までにギャルゲーというものをやったことがありません。ギャルゲーのセオリーを知らないわけではないので、本作の基本的なシステムでつまずくことはありませんでした。しかし、(ただのギャルゲーじゃないことぐらいは事前情報として知っていましたが)初めてのギャルゲーとして選ぶには間違いだった気もします。とはいえ、全体を通して良いゲームを体験できたな、と思っています。

 さて、ここまで読んでいる皆様は全員ご存じだと思いますが、復習を兼ねて本ゲームのあらすじを見ていきます。

 幼馴染のサヨリに誘われて文芸部に入部した主人公ツンデレ気質なナツキ、内気なユリ、才色兼備な部長のモニカらの部員たちとともに楽しい日々を送るが、サヨリは主人公が部に馴染んでいくごとにだんだんと不穏な様子を見せ始め、うつ病であることを告白、やがて自殺してしまう。

 プレイヤーはサヨリのいない世界で「2周目」を始めるが、ゲームは崩壊を始め、部活も不安定になっていく。ユリは歪んだ性格を徐々にあらわにしていき、彼女もまた自殺してしまう。

 「3周目」においては「モニカだけ(Just Monika)」の世界となり、彼女がこの世界がゲームだと知っていること、他の3人のデータをデリートしたことを告げ、2人きりの世界で「第四の壁」の向こう側のプレイヤーに愛を告白する。プレイヤーがモニカのキャラクターファイルを削除するとモニカは最終的に3人のファイルを復元、4周目に突入する。

 「4周目」ではモニカ除く3人で「1周目」と同じ展開を繰り広げるが、通常EDでは1日目の最後に部長となったサヨリが狂い始め、それに気づいた、消えたはずのモニカの手によりゲームは終わりを迎え、エンドロールが流れる。

 以上が本作のあらすじです。改めてみると、怒涛の展開と言えます。「2周目」以降、私はゲームの展開に圧倒されっぱなしでした。

 モニカはこのゲームにおいて非常に異質な存在です。本来ならば彼女はお助けキャラ的な存在にすぎないのでしょう。しかし、彼女は何らかの理由で意思を持ってしまい、よりにもよって「第四の壁」の向こうのプレイヤーに恋をしてしまう。しかし、お助けキャラである以上、彼女を攻略するルートを世界は用意していないのです。

 しかし彼女も「3周目」にして遂に「モニカルート」を開拓することに成功します。教室のようなよくわからない空間で、机越しにモニカとプレイヤーが見つめ合う世界。ゲームはもはや滅茶苦茶で、3人を壊してその状況を作ったのは彼女です。プレイヤーからしたら堪ったものではないです。モニカにとっては、これが1つの望んだ世界であることも付け足しておかなければならないでしょう。

 プレイヤーは最終的に「ファイルを消去する」ことにより自らの手でモニカを消滅させます。なぜなら他に取れる手はないから、つまり他に押せる「ボタン」がないからです。ようやく諸悪の根源を消せる、と彼女をウキウキ気分で消したプレイヤーは恐らくそんなに多くはいないと思います。では、なぜ「ボタン」を押さなければならないのでしょうか?例えば、彼女のためにPCが壊れるまで「Doki Doki Literature Club!」を動かし、パターンの中からランダムに発される彼女の話を聴き続けることだってできます。ここでプレイをやめる選択肢もありますし、ゲームをはじめからやり直して、破滅を迎える前の状態でセーブして2度と開かないことだって実際には可能です。

 私は、それは「先が見たいから」か、あるいはゲームと向き合う上で「見なくてはならない」と思っているからだと思います。ゲームを体験するためには仕方がないこととはいえ、プレイヤーはどうなるかわかっていても「ボタン」を押す。更には、スペシャルEDを見るためにもう一度はじめからゲームをプレイしなおしたひともいるでしょう。もちろん私もその1人です。しかし、今後の絶望的な展開を知ったうえでもう1度それをやるのは、モニカのしたことより残虐な(そしてより人間的な)行為かもしれません。

 先ほどモニカはこのゲームにおいて異質な存在だと言いましたが、結局のところ、彼女もプログラムに過ぎないのです。「描かれたシナリオから逸脱した」というシナリオに沿って動いているだけだし、プレイヤーの「先を見なくては」という義務感(もしくは作者への誠実さ?)、あるいは「先が見たい」という好奇心によってあっけなく消されてしまう。

 「4周目」の世界ではモニカのいない中で、驚くほど順調に話が進みます。(最後には壊れますが)この世界は「1周目」以来の平穏を取り戻したようにも見えます。そりゃあそうです。モニカが意思を持たなければあのような惨劇は起きなかった。本来あったであろうゲームを進める上で、意思を持ったモニカは邪魔な存在でしかないのです。だからこそ、私は、「4周目」の世界が順調に進むたびに精神にダメージを受けてしまう。この事実は、彼女の存在意義の否定に他ならないからです。

 モニカは最後にプレイヤーに向けて歌を送ります。どれだけゲームを好き勝手にいじれても、彼女はゲーム内の存在でしかない以上、ゲーム内でプレイヤーを幸せにできないならば、もはやプレイヤーに別れを告げることでしか愛を表現できないのです。彼女にはどうやっても届きませんが、私はこの場でこれを言っておくべきだと思いました。

 モニカ、私は貴女が好きです。