#ボカロの青海原周遊クルーズ 結果発表

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

2020年2月29日から3月7日にかけて、投げ会を開催させていただきました。

 今回はその結果発表として、投げていただいた全39曲のうち、私が特に気に入った曲を7曲選定しましたので、公開させていただきます。

 

 

【入賞】(4曲)

まびらび/立秋

 いも男爵さん推薦。

 とにかくかわいくて好きです。こういう曲は安定感があって癒しにもなるし、何回でも聴けます。聴いてると身体の力が抜けるのを感じます。これがバブみってやつか…(違う)。細かい部分で言うと、「ひょっとしてキミって天才!?」のところの調声が好きです。刺さります。

 

17/nao"

 さいころさん推薦。

 私はお洒落な曲のピアノに弱い人間なのですが、この曲のピアノはとても満足度が高かったです。ピアノソロの後のCメロが期待感が高まって推せます。こういう曲を最近積極的に聴けていなかったのでとても助かりました。ありがとうございます。

 

川沿い/アキ

 B,Fさん推薦。

 サビとそれ以外の部分の緩急が明確で好きです。サビの掠れた調声は特に印象的です。

わかるよ こんな歌唄いたい訳じゃない
こんな歌唄いたい訳もない
でも 今日歩いた川沿いがやけにキレイで

この歌詞の部分は内容はもちろん、歌詞のリズムの取り方も好きです。歌詞そのものとリズムの相互作用を強く感じます。ボーカルの比較的低い声もそれらに馴染んでいて良いです。

 

星くずガール/黒魔

 しめじさん推薦。この文章の編集中に気付きましたが『中二の俺』シリーズでも知られる黒魔さんの作品です。凄まじい成長ぶりだ…。

 ノスタルジックな曲調とふわっとしつつも力強い歌詞が生み出す雰囲気が素晴らしいです。どこか切なくなる感じは「エモ」とはまた異なる気がしますが、ともかく好きです。あと、特に気に入ってるのは入りの部分です。ワクワクします。

 

 

【優秀賞】(2曲)

眩しいほどのきらめきをもう一度!/やんかな

 ホワイトさん推薦。

 まず調声が好きです。この曲の熱いアニソン風の曲調にマッチしています。駆け抜けるような勢い、パワーにキメの爽快感も加わって聴いていて気持ちがいいです。テンションが上がります。ギターも全体を通して熱い感じでとても好きです。

 

メルカ/たるとP

 リーチさん推薦。

 旅をテーマにした曲です。かわいくキャッチーなメロディーで、私にとても刺さりました。旅の期待感が表現されていて、聴いていて楽しくなれる一曲です。ラスサビの盛り上がりは特にその傾向が強いので、もし聴くならぜひ最後まで聴いてほしいです。

 余談ですが、(偶然かもしれないですが)リーチさんはカタカナ3文字のタイトルで統一して曲を投げてくださいましたので、ツイートを貼っておきます。

 

 

【最優秀賞】(1曲)

空と僕の物語/ep0d,佐倉ユキ

 ねむこさん推薦。

 爽やかなでメロディアスな曲調の一曲です。力強い調声も、前向きな歌詞も、とても私のツボにはまりました。サビの出だしがドラマチックで特に好きです。爽やかで、でも壮大で、そしてキャッチーで…と三拍子そろった曲はなかなか見つからないのですが、それがここにありました。普通に聴いてる限りではこの曲は絶対見つけられなかったと思うので、私に投げていただいてとても嬉しいです。ありがとうございます。

 そして、今この文章を読んでいる皆様にも、ぜひこの曲を聴いてほしいです。マジでめっちゃ良いので、よろしくお願いします。

 

 

おわりに

 投げ会を始める前に「聴ききれなかったらどうしよう」みたいなことを呟いたのですが、内心では曲が全然来ないんじゃないか、ということを心配していました。ですが、このように無事に投げ会記事を書けるだけの曲数が集まって本当に良かったと思っています。曲を投げてくださった13名の皆様、ありがとうございました。

 投げられた曲はどれも良いものばかりなので、ぜひこの投げ会のタグ「#ボカロの青海原周遊クルーズ」をTwitterで検索して、私が紹介しきれなかった曲も聴いてみてください。

 以上、青海 久瑠がお送りしました。最後まで読んでいただきありがとうございました。

vocanote10選(ao_39L ver.)

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

#vocanote の登録数が500件を突破した際に、「め」さんは「vocanote10選」という記事を作りました。

 そしてぐりーんさんがそれに続いてvocanote10選を発表しました(ここには私の記事も入れていただきました)。

 それから1年以上が経過したにも関わらず、他にvocanote10選を書くひとは現れませんでした(もし私の観測範囲外で誰か書いていたらごめんなさい)。

 「め」さんが最初に書いて、「め」さんの記事を契機にvocanoteを始めたぐりーんさんがその次に書いたのです。今更とはいえ、ぐりーんさんの記事を契機にvocanoteを始めた私が書かないわけにはいかないでしょう。

 というわけで、今回vocanote10選を作成しました。ルールは「め」さんのものを踏襲しています。

ルール
・対象はnote上に上がった #vocanote を含む記事とします
・自分の記事は当然含めません。

 紹介順も「め」さんと同様に発表日順とします。

 

感想:Fake Lover

 というわけで、1つ目に挙げるのは、ここまで散々名前を書いてきた「め」さんのvocanoteです。

 曲の場面ごとの好きなポイントを、丁寧に説明していくというスタイルで記事を書くことは、真似しようと思ってもそう簡単にはできるものではありません。それをやるにはかなりの聴き込みと、そして何よりも曲に対する愛を要求されます(私はやろうとしても中途半端になってしまいます)。ですから、この文章からは、曲そのものの魅力も、「め」さんのFake Loverに対する思いも存分に伝わってくると思います。

 そして、あれだけの中身の長文を、伝わりやすくまとめられるのは羨ましくも思います。vocanoteを書く上でも、とても参考になる記事です。

 

#​17.ミッドナイトクライシス【曲紹介・感想】

(タイトルがタグ化するのを防ぐためにナンバリングの所に空白文字を入れています)

 ぐりーんさんのvocanoteです。

 この記事を10選に選んだ理由を挙げると、どうしても自分語りになってしまうので少しだけ語らせてください。

 私が今こうしてこの記事を書いているのは、ぐりーん先輩のおかげです(誤解のないように言っておくと、私はぐりーんさんに対する憧れと感謝の念を込めて『先輩』と呼んでいるのであって、私が北海道大学ボーカロイド同好会に所属しているわけではありません)。

 ぐりーん先輩をいつ頃からTwitterでフォローしていたのかはわかりませんが、ある日この記事がたまたまTLに流れてきました。私はミッドナイトクライシスが好きだったのでそれをクリックせざるを得ませんでした。記事内で語られるこの曲の魅力に、共感したり、言われて新たに気づいたりと、いつの間にか記事に引き込まれていました。そしてこの記事の最後の項目は…

みんなもvocanoteを書いて!

 その状況でこんなことを言われてしまっては書くしかありません。というわけで、私はvocanoteを書き、やがて様々なリスナーと繋がっていくことができました。

 このような経緯で、私が最も深い思い入れを持っているこのvocanoteを10選に加えさせていただきました。

 

ボカロが調教する話

 ボカロ曲をPごとに履修するという独特のリスニング方法や、ゲーム実況者のファンも兼ねていることなどにより、リスナー界隈でも変わった存在感を放つkakimoriさんのvocanoteです。

 初音ミクとは異なる形で作られてきた「鏡音」の文脈や特有の現象などを、わかりやすく解説しています。鏡音ファンの間に流れる特有の空気を理解する上では大変参考になる文章です。

 特定のPについてのクラスタ的なリスナーと、雑食のリスナー、更にゲーム実況者など他の界隈との繋がりを持ち、それらを比較してみれるkakimoriさんだからこそ書ける記事だと思います。

 

またねがあれば【曲紹介・感想】

 みかんさんのvocanoteです。

 「好き」をストレートに伝える、という点において、みかんさんを超えるvocanote書きはなかなかいません。色々と理屈を捏ねて曲の魅力を伝えるのももちろん魅力的ではあるのですが、「好き」を共有するというvocanoteの精神からすると、 みかんさんのド直球の「好き」は、これはこれでとても素敵なものです。

 ちなみに、この記事を読むまで私はこの曲を聴いたことがありませんでした。vocanoteを読んで、聴いて、今ではボカロ100選に入れるぐらいには好きです。みかんさんには良い曲と出会わせてくれて感謝の気持ちでいっぱいです。

 

はやくボカロリスナーになりたい!

 ゆうさんのvocanoteです。

 先日、「ボカロリスナーが怖がられている」といった趣旨のツイートを見かけました。私の記事を読んでくれている方はほとんど「ボカロリスナー」を名乗っている人達だとは思いますが、もしまだボカロリスナーが怖いことで名乗ることを躊躇していたり、活動を抑えている方がいらっしゃるなら、是非ともこの記事を読んでほしいです。

 ゆうさんはゆるい文体で的確に自分の気持ちを伝えてくるタイプの記事を書く方で、記事を読んでいるうちにゆうさんの持つ独特の雰囲気とか、世界観とか、そういったものに包み込まれていく感覚を味わえます。

 

VOCALOIDと人間、何がこんなに違うの?

 葩さんのvocanoteです。

 VOCALOIDと人間の、シンガーとしての性能の違いに着目し、それぞれの得意な表現方法によって曲の解釈も変わるし、そもそもそれぞれにしかできない表現方法がある、といった主張がなされています。

 VOCALOIDはしばしば人間の下位互換かのように言われることがあります。この記事は、必ずしも、VOCALOIDは人間の下位互換ではないことを再確認して、VOCALOIDでしか引き出せないような、楽器としてのVOCALOIDの新たな魅力を発見させてくれます。

 

コンビニよって帰った日

 書き手としても活躍する藍さんのvocanoteです。

 記事の中では、初めて聴いたはずのボカロ曲が、実はかつて聴いたことがあるものだった、という運命的ともいえる再会が述べられています。

 藍さんの書く文章は、書き手としての本領が発揮されていることを感じさせます。文章の一つひとつがふわふわ、キラキラとしていて、どこか切なくて、陳腐な表現を使ってしまえば「エモい」です。私は藍さんに関して「存在してなさそう」と表現することがあるのですが、これはこうした文章の美しさが非現実的にさえ思えてしまうことに由来しています。

 

ボカロ曲「ロキ」食べてみた

 綿麻さんのvocanoteです。

 体調と食欲とを犠牲に、ロキを味わおうと努力し続けた様子を、アルファブロガーのようなノリの勢いのある文体で書いたレポート記事です。

 音楽を食べる、という狂った発想を面白おかしく伝える様子は、vocanote界隈に新たな風を呼び込みました。純粋なエンターテインメントとしても面白いので、ボカロに特に興味が無いひとにとっても楽しめる記事となっています(というよりも、そういった層に読まれることも意識して文章が書かれています)。布教という観点から見ても、とても効果的なアプローチだと思います。

 

私は傘村トータさんの歌詞が苦手だ

 ヒカリゴケさんのvocanoteです。

 徹底した“誠実”さで「苦手」を表明した記事です。苦手なものにここまで真摯に向き合って、それでもなお苦手であるということを表現する、というのは多くの労力と勇気を必要とするものです。それを成し遂げたことは賞賛に値します。

 ここからは私見になりますが、vocanoteの精神性は「好き」を共有することだと先程述べました。しかしそれは「苦手」であるといったネガティブな感情を排除することとイコールではないでしょう。自分の“正直”な気持ちと向き合い、そしてそれを表明する、という作業をvocanoteという場でやったことは、vocanote界隈にとっても良いことだったのではないでしょうか。

 

マイリスコンピミーティング! #​夏をすずしく過ごせる曲10選

(タイトルがタグ化するのを防ぐためにコンピテーマの所に空白文字を入れています)

 ボカロ系クラブイベントを運営するASTELOIDsさんによるvocanoteです。

 毎月のテーマに合わせて好きな曲を選んで発表する企画「マイリスコンピ」に、それぞれのコンピを持ち込んで発表する様子を対談形式で公開することで参加した記事です。

 クラブ系イベント関係者特有の視点と、マイリスコンピを対談形式で公開するという新たな参加方法は、マイリスコンピの可能性を広げました。

 コンピそのものも良質で聴きごたえのあるものとなっています。

 

おわりに

 先例に従って私も後書きを書こうと思います。

 vocanoteという方法、あるいは場は、私がちゃんとvocanoteを書くようになった1年半前からでもかなり変化しています。この「場」に参加するひとも増えたし、以前に比べて参加する上での心理的なハードルも下がっていると思います。

 もし、あなたが「好きな曲を布教したい!」とか、「自分の好きな曲に対する思いを深めたい!」とか、ボカロについて何らかの伝えたい気持ちを持っているのであれば、是非ともvocanoteを書いてほしいです。

 難しく考える必要はありません。私が紹介した記事の中には奇抜なアイデアやとてつもない労力がかかっているものもありますが、そうでなくても素敵な記事は沢山ありますし、そもそもvocanoteの本質は見栄えの良い記事をかけることではなく、思いを「共有」することです。

 もちろん、vocanoteを書くことがステータスだとか、リスナーとして書く「べき」だとか、そういったことを言うつもりは全くありません。あなたがvocanoteを書かないという選択をするならそれはそれで構いません。

 ただ、vocanoteを書くことで、新たなリスナーとの出会いがあったり、好きな曲を布教できたり、その曲をもっと好きになれたりと、様々なメリットを受けることができます。vocanoteはボカロリスナーとして活動を楽しむ上で良い手段になる、ということを伝えたいです。

 もし万が一私の記事に影響されてvocanoteを始めてくれるひとがいたら、これほど嬉しいことはありません。その時は教えてください。

 そして、vocanote創始者のあんでっどさん、これまでvocanoteを書いてきた皆さん、私が界隈に参入するきっかけになったぐりーん先輩、私の記事を読んでくれた皆さんには感謝してもしきれません。ありがとうございます。vocanoteという1つの「場」が、色々なひとの思いを繋げていく様子をこれまで私は何度も見てきましたし、私自身もそういう経験をしました。それは皆さんのおかげです。

 「め」さんとぐりーんさんの記事から1年以上が経過しましたが、まだまだ「vocanoteで10選をする」行為は、“酔狂だ”と捉えられてしまうものかもしれません。しかし、私はvocanoteという「場」、あるいは「手段」の力を信じています。いつの日か、こういった行為も当たり前のものになるなら、それはとても嬉しいことだし、VOCALOIDというコンテンツにも少しだけ力を与えてくれるものだと思います。

 今後のvocanoteが、より多くのひとにとって、ボカロを楽しむのに役立つものになることを願っています。

ぼかのーと #16 ハートブレイク≒ブルース [感想]

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 はいどーも、青海 久瑠です。

 今回は、ケダルイさんが2017年に公開した「ハートブレイク≒ブルース」について書いていきたいと思います。

 まず、この曲、曲名とは裏腹にロックに分類されます。曲名自体はジャズ・ブルースに分類される(曲中でそう歌われているので私はケダルイさんを信じます)曲、「Learning The Blues」の一節にある、「When you feel your heart break, you're learnin' the blues」から取られています。日本語に訳すと「あなたは失恋した時、ブルースを学んでいるのだ」といった具合でしょうか。

君からの返事待つあいだに
音楽で寂しさ紛らわすの

ヘッドフォンから流れ出すジャズブルースが
哀しげに愛を謳うんだ
曰く“You're learnin' the blues”

と歌詞にありますので、とりあえず「Learnin' The Blues」を聴いてみましょう(上に貼ってある動画です)。

 …何となく想像はついていましたが、ハートブレイク≒ブルースの主人公ちゃん、イラストからして高校生ぐらいだと思うんですけど、音楽の趣味が渋いです。想い人からの返信を待つ間、どんどん気分が重くなっていきそうです。

 いや、最初からわかっているのです。返信を待つ間に「You're learnin' the blues」なんて言われてしまっているのです。叶わない恋だなんてことは、当の本人が1番わかっていることです。それでもどうしようもないのが恋愛というものだし、わかっていてもやめられないし、だからこそジャズブルースをかけてしまうのです。

 「ハートブレイク≒ブルース」の魅力は、この切ない心情を歌った歌詞に対して、爽やかさに全振りしたような曲調があてられていることです。切ない心情を歌うならば、それこそジャズブルースとかでいいわけですが、あえて爽やかで軽快なロックが使われています。恋をどうにかして忘れようとしている気持ちが感じられて、このギャップは私がこの曲の中でとても好きな要素です。

 他にもこの曲の好きなところを挙げるなら、私は落ちサビを選びます。それまでと比較しても曲の軽快さが特に際立っていますが、その分「エモい」とも表現されるような哀しさがより一層込み上げてきます。途中までボーカルのメロディをなぞっているギターは、その哀しさをさらに強調していて、とても味わい深いです。

 というわけで、ハートブレイク≒ブルースについて書かせていただきました。

ろんさんの生放送を観た話

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 私は、そもそも、昔は歌い手というものがあまり好きではなかった。今でもそんなに熱心に追っているわけではない。ボカロリスナーをやっていると多少は聴くことがあるとはいえ、最近の歌ってみたは何が流行っているとか、そういうのはよく分からない。そんな私が、唯一CDを買った歌い手が、ろんさんである。

 上の動画を観て、その曲が収録されたCDを買おうと決意した。私は歌の上手い下手は(公式歌い手並に下手でなければ)よくわからないけど、声質にマッチした選曲でとても聴きやすいと思った。原曲の素晴らしさも相まって私はすっかりこの動画に、少なくともCDを買う程度にはハマってしまったのだった。

 さて、なぜ生放送を観るに至ったかといえば「たまたまやっていたから」に過ぎない。私がニコレポを開いた時に、ちょうど1番上にろんさんの生放送のお知らせが出ていた。私は「そういえば歌ってみたメインで活動してるひとの生放送は観たことがないかも」なんて思いながらそれをクリックした。

 ろんさんは、生放送を観る限りはふわっとした感じのひとだった。どこか掴めない感じで、あまり自分の情報も公開していないようだった。例えば、顔出しの話になった時は、本人はするつもりがあまりないようなことを言っていて、リスナーも概ねやらない方がいいとコメントしていた。本人の口調もふわっとしているし、どこか現実離れしたような、もっといえば現実世界に「存在」していないような、そんな印象を受けた。私は多分こういうひとが好きなんだと思う。私の好きな初音ミク(ひとかどうかという点については非常に悩ましいが)もふわっとしてるし。

 生放送では質問箱の返答をやっていて、その中に「励ましてください」みたいな趣旨の質問(?)があった。記憶は曖昧だが、「君は今ステージの上に立っています。」ろんさんは突然こんな感じのことを言って、プチ劇場的なことをやり始めた。ろんさんはステージの方に走ってきて、軽く息づかいを荒くしてから一言。「がんばれ。」

 私はこれが俗に言うイケヴォというやつか、と思った。そのぐらいかっこよかったしかわいかった(語彙力皆無)。そして同時に、陳腐ではあるが、「歌い手も誰かの思いを受けて活動してるんだなぁ」などと考えていた。

 少しだけ、歌い手をより好きになれたかもしれない。

ぼかのーと #15 ストラトステラ [感想]

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 はいどーも、竹輪です。

 今回は、ナユタン星人氏が2015年に投稿した初音ミクオリジナル曲「ストラトステラ」について書いていきたいと思います。

 まず初めに言いたいんですけど、

この曲めっちゃエモくないですか?

 ああ、ブラウザバックなさらないで。ちゃんと説明していきますから。

 「エモい」という言葉はご存知の通り、幅広く使われています。インスタ映えする見た目の良いスイーツも、レトロな工業製品も、夏の田舎の青空も、誰もいない放課後の教室も、全て「エモい」といって済ませてしまうことができます。とても魔法みたいな言葉です。

 そのことが良いか悪いかは置いておきます。そんな単純に決着のつく問題でもないですし…。

 ただ、「エモい」という言葉が使われる対象は、かなり多くの場合、「哀愁がある」だとか「甘酸っぱさを感じる」だとか「懐かしさを覚える」だとかいって他の言葉で説明することができると思います。

 でも、少なくとも私は「ストラトステラ」に対して同じことができないんです。この曲が私に突きつけてきたものは哀愁でしょうか?甘酸っぱさでしょうか?懐かしさでしょうか?それとも何か別のものでしょうか?どれも当てはまるような気もするし、一方でそれだけでは不十分なように感じます。その幾つかを組み合わせても、どこかこの曲に対する感情を説明するには足りないような気がします。

 ですから、この曲のために、「エモい」という、ひとによっては安っぽいと思われるだろう言葉を使わざるを得ないのです。私の貧弱な語彙力では、この曲が突きつけてきた感情的な「何か」を表現しきれません。しかし、「エモい」という言葉はあまりにも便利すぎるので、そのよくわからない感情のほとんどを内包してしまっているのです。

 というわけで、「ストラトステラ」はエモいという話でした。

いただいたご意見への返信

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 「初音ミクの限界とv flowerの可能性」という記事に関しまして、いくつか意見をいただきました。ありがとうございます。この記事ではいただいた意見について返信します。また、以降同記事もしくはこの記事に関する意見をいただいた場合も、この記事で返答させていただきます。私はまだまだ相当未熟ですので、皆様から意見、反論、批判、アドバイス等をいただけると大変助かります。今後ともよろしくお願いします。

 曲調の統一感にキャラクターが出ているという点に関して、ご指摘いただいてはじめて気づきました。今後の参考にさせていただきたいと思います。また、GUMIやIAに関しましては、ボカロ曲においても、それ以外の場面においても、キャラクター性がそれなりに活かされていると判断したのですが、私の偏見が無視できないレベルで入っていたことは恐らく間違いないです。客観的な視点が著しく欠けていたと思います。申し訳ありませんでした。

 私に声質や技術の話がほとんどできないというのはご指摘の通りです。そういった視点に欠けているとそれだけ論理展開が説得力の足りないものになってしまいますし、現に声質や技術に詳しい方々が私の記事を見たら違和感を覚えるであろうことは私にもなんとか想像はつきます。しかし私には理解力が不足しているので、誠に不躾ながら、記事のどこに問題があるのか具体的にご教授いただけるとありがたいです。

 ご指摘の通り、ボカロライブラリのキャラクター性と楽器性は一概にどちらが強く、どちらが弱いと言いきれるものではありません。私は以前より、VOCALOIDというのは、キャラクター性、楽器性、それ以外の性質を引っ括めたものだという認識をしております。楽器性を活かしつつVOCALOIDをキャラクターとして扱っている例も存在しますし、そのことに関しては把握しております。私が件の記事を通して言いたかったのは、「善悪は置いておくとして、VOCALOIDがより広く使われるには、キャラクター性が邪魔になってしまっている」「キャラクター性の薄いv flowerならばVOCALOIDがより広く使われるのに役立つかもしれない」ということです。そのことを主張するために、安易に二項対立のような構造を取ってしまったことは、誤解を招く面もあり、軽率でした。申し訳ございません。

 様々な楽曲では使われない、という表現については、私の説明不足でした。ご指摘の通り、VOCALOIDニコニコ動画YouTubeなどの動画サイトを中心に、様々な曲調の楽曲で使われていますし、それは存じ上げております。ここで言うピアノやアコギと初音ミクとの使われ方の違いというのは、VOCALOID曲を聴く際、ほとんどの人、特にVOCALOIDに慣れ親しんでいない人たちはVOCALOIDが使われていることを意識する一方で、ピアノやアコギを使用した楽曲については必ずしもそうではないということです。VOCALOIDを使った楽曲はほとんど全て「VOCALOID曲」として分類されますが、ピアノやアコギを使った曲は、それ単体でもない限り「ピアノ曲」、「アコギ曲」と分類されません。例えば「ロック特集」と題される特集があったとして、その中にピアノやアコギが使われている曲が入っていてもそこまで不自然には思いませんが、VOCAROCKが混ざっていたら不自然に思うのではないでしょうか。ですからVOCALOIDはほとんどVOCALOID界隈の中でしか使われておらず、多様な楽曲で使われているとは言い難いのではないかと思います。

 ボカロPは初音ミクのキャラクター性を捨てるのを受け入れられない、という点に関しては、私のボカロの視聴傾向が少なからず影響していると思われます。あいまいみぃ様が実際にボカロPの方々との交流の中でそのように感じ取られているのであれば、その点についてはそちらの方がより実情をとらえているのだと思います。ですから、この点については訂正させていただきます。申し訳ありませんでした。

 知識量不足は否めない点もあるので精進します。

 GUMI、IAに関しては前述の通りです。VY1、2は、ご指摘の通りあまりヒットしておらず、普及についての例示としては不適当だと思ったため言及していません。

 また、私は、無意識的に、日本国内でVOCALOIDを普及させるという観点で話を進めていましたので、海外でのVOCALOIDの使用例に関しては把握しておりませんでした。私の視野狭窄さが原因です。今後の参考とさせていただきます。

 「世間で広く使われること」を主眼に置くあまり、「世間からみたVOCALOID」というものにばかり囚われてしまっていました。同じVOCALOID界隈に所属する人間でも、周囲の環境や視聴傾向によって、VOCALOIDの見え方が変わってくるのは当然であり、それを一絡げにして論じるのはあまりにも手法として雑だったと思います。今後こういった文を書く際には参考とさせていただきます。

 

初音ミクの限界とv flowerの可能性

※本記事は2020年11月にnoteから移設したものです。投稿日時は元記事の投稿日時に合わせてあります。

 

 この記事はしらすさんの記事を元に書いてますので、先にそちらを読むといいと思います。

 しらすさんが上の記事で言及されていたように、「v flower」はボカロとしてはキャラクター性が薄いです。「v flower」のキャラクター性を利用した創作が無いとは言いませんが、キャラクターがあまり利用されていないというのが現状です。

 現在の「初音ミク」を筆頭としたVOCALOIDライブラリには、その名前にそのキャラクターが強く結び付けられる傾向があります。つまり、私たちは初音ミクのようなVOCALOIDを「楽器である以前にキャラクターであるもの」として扱っているのです。その証拠に、かなりの人が、Megpoidをソフトウェア名のまま呼ばず、そのパッケージに書かれたキャラクターの名前である「GUMI」と呼んでいます。

 VOCALOIDをパッケージのキャラクターとより強く結びつけるという扱い方は、初期のニコ動においてVOCALOIDというソフトウェアの知名度を上昇させる大きな要因とはなりましたが、それ以上の飛躍を望むには逆に足枷となっているという節があります。

 つまり、これがタイトルにある「初音ミク」が持つ「限界」です。初音ミクが楽器である以前ににキャラクターとしてみなされる以上は、ピアノやアコギといった楽器名や、ロックやジャズといったジャンル名ではなく、「米津玄師」や「嵐」といったアーティスト名と同列に並べられることが多くなるのです。

 ボカロ初心者のよくある勘違いとして、「初音ミク製作委員会」的な存在が初音ミクの曲を作っている、というものがあります。皆様も1度ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。こういった勘違いは、「初音ミク」が1人のアーティストで、それに曲を提供するひとたちがいる、という考えに基づくものでしょう。こういった勘違いをするひとたちは、「初音ミク」を1人のアーティスト、もしくはゆるキャラのような「公式」を中心に活動するキャラクターとして見ているのです。

 「初音ミク」が1人のアーティストとしてみられている以上、VOCALOIDというソフトウェアを、世間に1つの楽器としてみなしてもらうことは大変に困難です。どれだけ「初音ミク」が躍進しても、世間からすれば彼女は1人のアーティストでしかないのですから、ピアノやアコギのような様々な楽曲で使われる存在にはなり得ません。

 逆に言えば、初音ミクがピアノやアコギのように広く使われる存在になるには、そのキャラクター性を排除する必要があります。言うまでもないことですが、かなりのボカロファンやボカロPはそれを受け入れられないでしょう。彼ら/彼女らは楽器でありキャラクターである「初音ミク」が好きなのですから(私はそれは悪いことではないし、そもそも広く使われることだけが絶対的な価値観ではないと思いますが)。

 VOCALOIDライブラリが「初音ミク」をモデルに、そのキャラクター性を活かして発展しようとする限り、VOCALOIDが世間で広く使われることはほとんどありえません。「初音ミク」がVOCALOIDの象徴的存在として君臨し続けることは、VOCALOIDという技術の可能性をかえって狭くしているのです。そして、これは恐らくなのですが、VOCALOIDが本来あろうとした姿は、「初音ミク」のような形ではなく、楽器としてのそれなのではないでしょうか。

 そこでv flowerです。もちろん「v flower」をキャラクターとして好きなひとはそれなりの数います。ですが、前述の通り、多くのボカロPは「v flower」をキャラクターというよりは楽器として扱っています。だからこそ、v flowerならば「初音ミク」が超えられない限界を超え、VOCALOIDを、世間で広く扱われる存在に導くことができるのではないかと思うのです。

 それがあるべき姿だとは、私は言えません。むしろ、私は「初音ミク」にキャラクター性がなければ、好きになっていたかどうかすら怪しいです。私が言いたいのは、ただ、「初音ミク」という存在は、VOCALOID技術をこれからさらに普及、そして発展させるという観点から見たときに足枷となっていること、そして「v flower」は足枷になりにくいというだけのことです。ですから、「VOCALOIDという技術をもっと普及させたい!」という野心をお持ちのボカロPの方には、v flowerを購入することををおすすめします。